抜本的片付けの先に見たもの (E)

 7月の最終週末に子どもたちと3人で6時間かけて片付けと掃除をした。捨てたものの量はそれ程でもなかったのだが、とにかく片付ける場所を徹底して決めた。そしたら、なんと1ヶ月経った現在もリバウンドなしでスッキリ部屋をキープできている。こんなことは子どもたちが生まれて以来初めてなので感動していると同時に、今回の片付けのどこが抜本的だったかを分析している。

 

 まずは片付け本に100%書いている「モノに住所を」を遂行した。子どもたちのものは子どもたちに決めさせたことも決定打であろう。子どものものが落ちていても、声がけするだけでそれぞれが戻せるようになり、私が片付けなくてもよくなった。「モノ住所手法」はあまりに当たり前のことだが、これを徹底するだけでほんとに変わるのだなと初めて実感した。みんな頭では「もとの場所に戻すなんて当たり前じゃん。」とわかっているけどこれが簡単なようで徹底できないから散らかるのだ。とにかく「徹底」することも合わせて重要であると思う。人類ははみな、「あとで戻そう」で総崩れしてきたのだ。

 

 至極当たり前のことを「徹底してやる」。これだけだった。ただ、これについては当たり前がゆえにみんなすでにわかっていることで、脳内でのイメージもばっちりできると思う。私もそうだった。

 

 では、なぜ「わかっているのにリバウンドしてきたのか」

 

 その「徹底」は1つの例外も許されないからだ。とにかく毎回元の場所に戻す。ただこの1点だけ気をつけルことで片付いた部屋は半永久的に手に入るようだ。

 

 「頭ではすぐわかる」「簡単なこと」

 これを「徹底」させることが「難しい」ということは、たぶん1度壁を越えることでしかわからないのだなということが今回わかった(片付けマウント)。

 

 世の中の片付け本、どれを読んでも上から目線で書かれているように(勝手に)感じられたのは私だけではないはず。でも今回自分でまとめていて思ったが、この「できた」「まだできていない」の壁を越えたか越えていないかで受け取り方は変わるのかもしれない。遅ればせながら人生がときめきはじめました。(やかましい)

 

 

 

8月前半 日記 (E)

8月某日 バケーション@小田原ヒルトン

 昨年に引き続き小田原で4泊5日のバケーション。コロナ禍以前は、夏休みは1週間~10日間ぐらいハワイへ行っていた。ハワイに行くためだけに1年がんばって生き延びていたと言っても過言ではなくらい、私たち夫婦の人生における「年に一回の渡ハ」は重要なものであったのだが、早くも行けなくなって3年目である。「もしハワイに行けなくなったらもやはそれは生きる屍」とか何とか言っていたわりに、私たちは案外明るく生き延びています。←

 基本的に我が家の旅行は観光をしない。今回もホテルのプールに毎日入り、残り半日はそれぞれが読書をしたり、YouTubeを見たり、お絵かきをしたりとゆったりと過ごしていた。キッチン付きのコンドミニアムタイプに宿泊したので、感染拡大も気になるし、食事は漁港で買ってきた寿司や刺身を連日楽しんだ。特に鰺がおいしい。娘(7歳)は最終日に「そろそろお肉が食べたいね」と鰺をバクバク食べながら言っていた。とりあえず鰺に謝ろうか。

 

 2日目の午前中にピアスを片方なくした。つけて部屋を出て、車に乗ったところで気づいたので、駐車場までの短い距離で落としたのだと思い、翌日その道中にあるラウンジのお兄さんに「落ちていませんでしたか?」と聞くと「昨日掃除したときになんか見た気がします!!」とおっしゃる。「もし届いたら教えてください」と伝えたのだが、結局最終日まで連絡はなく、地味に落ち込んでいた。

 最終日に荷物もまとめ終わり、部屋を片付けて出ようとした頃、息子(5歳)がソファの上で頭だけ下に降ろすという、何とも子どもらしい謎の遊びをしていた。そしたら「ママ~ソファの下にピアス落ちてる~」と言うではないか。ソファの下をのぞくと探していたピアス!!「息子よ~我が最愛の息子よ~」と最大級の謝辞。でかした。ありがとう謎の遊び。

 ところで、ラウンジのお兄さんは「見た気がします!!」と言っていたが、一体なにを見たのか・・・。そちらは謎のままである。

 

 体調を崩すこともなく、のんびり楽しい4泊であった。また来年ハワイに行けなかったらここに来ると思う。

 

 

8月某日 自己肯定感

 娘の5歳の誕生日に絵本をプレゼントしたのだが、その裏表紙裏にメッセージを書いてある。「生まれてきてくれてありがとう。」の旨がもう少しくどく長々と書いてあるのだが、娘が今日ふとそれを読み返していて、ぼそっと「生まれてきてよかったな~」と言っていたのだ。未だかつてこんなに自己肯定感を言語化した7歳はいるだろうか、いやいない(いるだろう)。私自身は陽キャなようで陰キャだし、自己肯定感ハイエンドそうに見えて、そうでもないところがあるので、こんな種類の幸せを娘から分けてもらえるなんて幸せだよなぁと、生まれてきてくれてありがとう(再)という気持ちになった。

 

8月某日 目のこと

 7月中旬にレーシックの手術を受けた。晴れて憧れの裸眼生活を手に入れたのだが、手術から3週間、調子がいい日と悪い日があって不安と安堵を繰り返している。最初の頃は手術による傷の違和感だと思われる異物感であったが、ここ2日ほど右目の見え方が不安定。片目を手で隠してセルフ視力チェックのようなことを1日に何回もしてしまう。見にくい、視野に何か白っぽいモノが見えるなど見え方に不安があると、大げさではなく気が狂いそうになる。気になって気になって目のことしか頭に浮かばず「鬱になるかもしれない・・・」という不安まで襲ってくる。あまり続くようなら受診しようと思うが、なんとか気のせいであった欲しいなどと情緒不安定ここに極まれりといった感じ。「見える」とか「目」って本当に大事なことなんだなと痛感。(文字通りの痛い感じね)

 

8月某日 自分の幸せを自分で生産できることの重要性について

 人生において「あ~わたし今めっちゃ幸せ!」の状態になれるカードはなるべく多く持っておいた方が良い。この中でも、より安価に切れるカードは大変重宝する。私の場合、「コーラとポテチをお供に漫画を読み漁る」というカードにこれまで何度救われてきたかわからない。

 ここのところ、定期的に訪れる「めんどくさくて誰ともしゃべりたくない病」を発病しているので本日このカードで乗り切った。中学生の時から使っているカードだが、本当に心が回復する。しかも、私が大人になってから「レンタルコミック」という事業が展開され始めたため、より安価に新しい漫画の世界にいけるようになったことも私にとって人類の進化である。(おおごと)今回はキングダムの最新刊と葬送のフリーレンとビースターズを最後まで借りてきた。

 

 

 

 漫画についても感想をまとめていくのでお読みいただけたらと思います。

 

 また、応用編として「コーラと炭酸とゲーム」というものもあるが、こちらの方が現世に戻りにくくなるのでお手軽に現実逃避できる漫画の方が頻度は高め。

 

ワンさぶ子の怠惰な冒険

ワンさぶ子の怠惰な冒険

宮下奈都 光文社

 

2021年夏。コロナ禍2回目の夏休み。

もはや第何波かわからない感染拡大がまた日本を暗澹とさせていた。

ステイホームでは読書くらいしか楽しみがないという閉塞感の中で出会えた1冊。

 

宮下さんのエッセイを読むのは初めてだったのだが、秒で宮下家のメンバーのファンになってしまった。全員違う種類の良さが光る。もれなく全員好き。箱で推せてしまう一家ってすばらしい。

 

とにかく終始穏やかな生活がそこにあって、コロナとはいえ神経質にキリキリしてしまっている自分を反省した。と同時に、読み終えたあととても心が元気になっている自分に気づいた。

 

今このタイミングに、この本に出会えて良かった。

人生ではそう思える本がたまにある。

 

こうして記録しておいて、読み返すことを老後の楽しみとするのだ。

 

 

後日談として、この年の年末にこの本が何かの賞に選ばれたとご本人がTwitterで投稿されていた。受賞のお祝いとともに「この夏、心が元気でないときに読んで救われました」と感謝をリプしたところ、「こちらこそありがとうございます」とのご丁寧な返信をいただいてしまった。恐縮過ぎたが、感激。作家の先生に直接感想をお伝えできて返信してもらえるなんて、Twitterって夢があるよな。(Twitterの話に・・・)